1.
若奥様は料理上手

 その日もボクは、ケイム王子に言われて、お茶を入れていた。
「マリウス!」
 部屋に飛び込んできた人物が叫んだ。ボクとケイム王子がびっくりしてそちらを見ると、そこにいたのはボクとさほど年の変わらない少女で、満面の笑みを浮かべていた。
「ヤエル、取り押さえろ」
「は、はい」
 ボクはあわてて剣に手をかけた。
「何よー! 久しぶりに会ったっていうのにそれはないでしょ!」
 少女は部屋に飛び込んできたのと同じ勢いで詰め寄ってきた。
「ああうるさい。おとなしく出来ないのか貴様は」
 ケイム王子はわざとらしく耳をふさぐ。その態度を見て、危険がないのだと悟った。本当に危険なら、ケイム王子は魔法で相手を蹴散らすはずだ。
「サラ!」
 あわてた様子で飛び込んできたのはオーウェン隊長だった。
「オーウェン、こいつを連れて行け。うるさくてかなわない」
「はっ」
「ちょっと待って! 私、マリウスに挨拶に来ただけなんだから。それでどうして不審者扱いされなくちゃならないのよ」
 マリウスというのはケイム王子のミドルネームだ。城内でもその名前で呼ぶ者は少ない。
「僕が不審者だと判断した。それで十分だろう」
「もー。久しぶりに会ったからって照れちゃって。ま、来週になればいやでも毎日のように顔を合わせることになるから」
「まさか……」
「ああ、もう対面してたか」
 おっとり刀で現れたのはシン隊長。楽しそうにニコニコしている。
「兄上、ご説明願えますか?」
「ん? サラには、来週から近衛として働いてもらうことになった。さっきレグナーに承認を取り付けた」
 レグナー大将軍は近衛隊長たちを束ねるだけでなく、城の兵士全体を束ねている。武官の中では一番トップのポジションだ。その承認を受けたということは、正式に採用されたということである。
「そういうこと! もう専業主婦って暇で暇で。そりゃあアレクのためにあれこれ働くのも悪くないんだけど、それだけっていうのもねぇ」
 その少女……サラさんは、ケイム王子に対して仁王立ちで言い放った。ケイム王子は機嫌が悪そうにむっつりしているし、オーウェン隊長はずっとおろおろしている。シン隊長はニコニコしていて、ボクは、ずっと唖然としていた。
 この人が、あのうわさの人か。ボクは呆然と彼女を眺めた。特にこれといって目立つ感じではない。中肉中背で、顔も十人並み。まぁ、にぎやかであるのは間違いないが、このくらいなら、町の売店で働いているおばさんなんかによくある程度だ。
「……で、どこの部隊に配属になるんですか?」
 ケイム王子がシン隊長に尋ねる。
「俺の部隊に入れるつもりだ。サラのことだから、どこの部隊に入っても立派にやって行けると思うけど、最初は顔見知りのいるところの方がいいだろうから」
「それでいいのか、オーウェン」
 ケイム王子に尋ねられ、オーウェン隊長は沈痛な面持ちでため息をついた。
「レグナー大将軍の命令ならば、逆らうわけにも行きませんし……」
「不満たらたらだな。まぁ、なんにしても、貴様の部隊に配属させるわけには行くまいが」
「なぜです」
 オーウェン隊長が即座に切り返した。
「……仕事にならんだろう。サラはさておき、貴様が」
「しかし……」
「ねぇ、そんなことより、この人誰? 近衛だよね? ってことは同僚になるんだよね?」
 サラさんが話題を変える。
「こいつはヤエル・メトシェラ。兄上の部隊に所属している近衛騎士だ」
「よろしくヤエル。サラ・オーウェンです」
 サラさんはにっこり笑って、ボクの手を取り、上下に振った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 ボクはこのとき、なぜかわからないが、小さな寒気を感じていた。
「ヤエルは、魔法も使える。僕と一緒に魔法学院で学んだ仲だ」
「そうなんだー、魔法も使えるなんてすごいねっ」
 サラさんがボクの手を離した。すると、小さな寒気はふっと消えた。
「いえ……。ボクが使えるのは三種類だけですから……、サラさんほどでは」
「いやぁ、私はもう使えないし」
 サラさんはあっけらかんと笑いながら言った。「これからバシバシ剣術の鍛錬しなくちゃ。シン先輩、ご指導のほど、よろしくお願いします!」
「うん、一緒にがんばろうな」
「…………」
 シン隊長もサラさんも楽しそうにニコニコしているのだが……、それとは対照的に、オーウェン隊長とケイム王子は、なんだか沈痛な表情をしていた。
「ねね、これおいしそうなんだけど、食べていい?」
 サラさんはお茶菓子を指して言った。メイドが用意したクッキーである。
「勝手に食え」
「んじゃ遠慮なく。……んん? んー、思ったより大したことないな……」
「ねだっておいてそれか。こういうときはおいしいとかいうものだろう」
「だってなんか物足りないんだもの。……あ、そうだ」
 サラさんはかばんの中から何かごそごそと取り出して、お茶菓子のクッキーにまぶした。そしてそれを口に入れる。
「んっ。この方がおいしい。マリウスも食べてみなよ」
「何を振りかけたんだ?」
「シナモン。ここにくる途中、お店で買ったんだ」
「……ヤエル、食え」
「え」
 毒見しろということらしい。そういう命令は初めてだ。
「えー何よ。私が食べても平気だったのに毒見させるわけ?」
「貴様が平気でも、誰もが平気というわけじゃない」
「失礼ね。ほんとにおいしいんだから」
「どれひとつ」
 シン隊長がクッキーをつまんだ。
「お前も食え」
 ケイム王子が押し付けるので、ボクも仕方なくクッキーを口に運んだ。
 さくっとした歯ごたえ。シナモンの香りと甘い味が口の中に広がり、確かにおいしかった。
「おいしいです」
「気分が悪くなったりしないか? 苦しくないか?」
「ちょっとマリウス、そこまで疑うの?」
「大丈夫です。とてもおいしいです」
「そうか」
 ケイム王子はうなずくと、クッキーを口に運んだ。驚いたような反応は特に見せなかったが、口の中のものを飲み込んだ後で、ひとつうなずいた。
「確かにうまいな」
「でしょっ?」
「……そうかな。俺はもっとしょっぱい方が……」
 シン隊長は不満そうに言う。
「兄上にひとつだけ直して欲しいことがあるとすれば……その味覚だけですね……」
「アレクも食べてみて。はい、あーん」
 サラさんがオーウェン隊長にクッキーを差し出す。オーウェン隊長はそのままサラさんの手からクッキーをほおばった。ボクは少し唖然とした。オーウェン隊長がそういう……甘い感じのことをするのが意外だったからだ。それも人前でだ。
「おいしい?」
「ん、うまい」
「うふふ、もっと食べる?」
「おい。そういうことは家に帰ってやれ。僕は仕事に戻る。貴様等はもう帰れ」
 ケイム王子は不機嫌そうに言い放った。
「はーい。じゃあ、来週からよろしくね。そうだ、今度何かお菓子作ってきてあげる」
「好きにしろ」
「ヤエル、マリウスのことよろしくね」
「あ、はい」
「それじゃ、失礼しマース」
 サラさんはニコニコしながら出て行った。オーウェン隊長が、きっちり一礼して部屋を出る。シン隊長も、それに続いて出て行った。
「はぁ」
 三人がいなくなると、ケイム王子は大きなため息をついた。
「……にぎやかな人ですね」
「うるさいっていうんだ、ああいうのは」
「ちょっと驚きました。魔法が使えなくなったっていうのに、全然気にしてないみたいで……」
「そうだな。後悔するんじゃないかと思っていたんだが……、全然だ。価値観にぶれがないんだな。それより……気をつけろよ」
「はい?」
「オーウェンはああ見えて嫉妬深い。サラがお前の手を握った瞬間、お前をにらみ殺そうとしていたぞ」
「え」
 サラさんに手を握られたときに感じた寒気は、オーウェン隊長から発せられる殺気だったというのか。
「……まぁ、本当に殺しはしないだろうが、半殺しくらいは覚悟しておいた方がいいかもしれないな」
「怖いこと言うの、やめて下さいよっ」
「さて、仕事を再開しよう。文官たちを呼んでくれ」
「……はい……」
 ボクは、大きなため息をつくしかなかった。

「ねぇねぇヤエル、剣の稽古付き合ってよ」
 仕事上がりに声をかけられた。サラさんだった。
「ボクでいいんですか? シン隊長とか、オーウェン隊長とかの方が……」
「それはそうなんだけどさ。二人とも、会議があるっていないから」
 サラさんは他の同期よりも数ヶ月遅れて入ってきたこともあって、入隊してすぐ、研修のためにもシン隊長にぴったりついていろいろ教わるような感じだった。だから、他の隊員たちとの接触は極端に少なく、他の隊員たちも、シン隊長の学友であり、オーウェン隊長の妻だということで、少し距離を置くような接し方だったと思う。そんなわけで、隊長を除けばボクが一番サラさんと仲がいい状態だった。
「じゃあ、少しだけ」
「うん、ありがとう」
 修練所へ一緒に向かい、練習用の木刀で手合わせすることになった。
「かかってきて」
「それでは、遠慮なく」
 ボクは打ちかかって行った。
 サラさんとまともに手合わせするのは初めてだったが、やりにくいと思った。身につけているのが、正規の剣術とは違うのだ。正規兵が習う剣術よりももっと荒っぽい。踏み込んでくるときに平気で膝を蹴ってきたり、足を踏んできたりする。切りかかると見せかけて肘鉄が入ったり、投げ技を繰り出したりする。変幻自在だ。
「ふー、ヤエル、腕が立つんだね。もっと魔法ばっかりかと思った」
 お互いに息が上がって休んでいると、サラさんが声をかけてきた。
「サラさんこそ、攻撃のバリエーションがすごいです」
「そう? まぁ、私の場合、体格的にはどうしても男の人たちには劣るじゃない? その分、手数で勝るとかしないと勝てないと思って」
「すごくやりにくかったですよ」
「そっか。じゃあ、この方向でもいいんだな」
 サラさんは満足げに笑った。
 ケイム王子はあまりいいことを言わないが、こうして直接話してみると、シン隊長の評価の方が正しいように思う。根は真面目で努力家だ。王城で勤めていると、思ったことをそのまま口にする機会は減って行くが、彼女の周りにいると、そうでもなくなる。彼女自身があけっぴろげだし、本音を包み隠したような言い方をすると、彼女には真意が伝わらないということもある。
「ヤエルはどうして近衛になったの?」
「はぁ、父が、近衛だったので……」
「えっ、じゃあ、一緒に働いてるの?」
「いえ、数年前に殉職しているので……」
「ああ、それじゃ跡をついだって感じなんだ」
「まぁ、そうなりますかね」
「お父さんも魔法使えた?」
「いえ、魔法については母の方が……。今は引退してますが、宮廷魔術師だったので……」
「わぁ、実はヤエルってエリートなんだね。そういえば物腰がなんかこう上品だもんなぁ。そっかそっか。そういえば魔法が三種類使えるって言ってたけど、何が使えるの?」
「ああ、光と闇、火土精霊魔法の三種類です。精霊魔法はかじった程度なんですが」
「おおー、そうなんだ。エルフじゃないのに精霊魔法使えるってすごいよねー。光と闇の反対の属性の魔法を同時に習得してるのもすごいし。そっか。マリウスが信頼するわけだ」
「でも……サラさんも以前は使えていたんですよね?」
「うん。まぁ、私の場合はさ、単なる欲張りだから。精霊魔法って、普段生活するにしても便利なのが多いから、これは役に立つだろうってやってみたら出来たって感じで。あ、知ってる? アレクって、精霊とかすごい苦手なんだよ」
「え。オーウェン隊長が、ですか?」
「うん。剣士としての勘はあるから、精霊を感知出来るんだけど、精霊って形があいまいじゃない? それが怖いんだって。精霊も、けっこうかわいいのにねぇ?」
 ボクは、オーウェン隊長が精霊におびえている姿を想像して、思わず笑ってしまった。もしかしてサラさんに泣きついたりしているのだろか。
「あ、これは内緒ね。アレクが不機嫌になるから」
「はい、了解です」
「それじゃ、ご飯食べに行こうか。おなかすいちゃった」
「はい、そうしましょう」
 ボクはサラさんと連れ立って食堂へ向かった。サラさんは食堂で食べるのは初めてだと言った。今日の隊長会議は食事を取りながら行うものなのだそうで、オーウェン隊長の分を作らなくていいので、どうせだから自分も外で食事を済ませようと思ったらしい。そこで、武官用の食堂のメニューに目をつけたようだ。
 サラさんはメニューを見てあれこれと楽しそうにしていた。驚いたのは注文するメニューの量だ。大の男でも食べ切れるかと思うような量を頼んで行く。
「食べ切れますか?」
「えー? このくらいは余裕でしょ。……ヤエル、それで足りる? 私の分けてあげようか?」
「いえ、これで足りますから……」
「ふーん……」
 そんなわけで食事を取り始めたのだが、サラさんは食べながらどんどん浮かない顔になって行った。
「どうかしたんですか……?」
「うーん……。なーんか、いまいちなんだよなぁ」
 首をかしげながらも、サラさんはどんどん料理を平らげて行く。結局、全てを平らげた後で、こんなことをボクに尋ねた。
「この食堂の責任者って誰?」
「は……?」
「このままじゃいけないと思うの。士気も下がると思うし」
 ボクにはサラさんがどうしようとしているのか、よくわからなかった。
「……責任者ということであれば……、コック長か、近衛に限らず兵士たちを統括していることになっているレグナー大将軍か、こういうところの最終的な決裁権を持ってるケイム王子か……」
「ん、じゃあ、マリウスに言えばいっか。言って来る」
「え」
 サラさんは全てを平らげた皿をカウンターへ返すと、そのままの足で出て行ってしまう。ボクはあわてて後を追いかけた。
「食堂のメニューを変えて欲しい?」
 ケイム王子はサラさんの言葉をオウム返しに言った。ケイム王子の執務室には、書類と格闘しているケイム王子の他に、サラさんとボク、文官の人たちと別な隊の近衛騎士が二人ほどいた。ケイム王子は仕事の真っ最中というわけだ。
「別にまずくはないんだけど、おいしくないのよねぇ。だから、メニューを変えるべきだと思う」
「しかし……食堂のメニューは、兵士たちの健康のために、バランスを考えて作られているはずだ。うまいまずいよりも、そちらの方が大事だろう」
「やっぱりおいしいご飯があって初めて、兵士たちの士気って上がると思うの。アレクなんか全然寄り道しないで帰ってくるし」
「貴様の家庭の話は聞いてない」
「とにかく、メニューを変えて!」
 サラさんはケイム王子に対して仁王立ちで指を突きつける。ケイム王子は面倒くさそうにため息をついた。
「…………じゃあ、貴様がメニューを考えろ」
「は?」
「兵士たちのために必要な栄養バランスを保ちつつ、もちろん予算内に収まり、うまい飯のメニューを貴様が用意しろ。そうすればそれを採用してやる」
 ボクは、サラさんがそれに反発するものだと思った。
「あ、それでいいの? じゃあ、予算の資料ちょうだい。ローテーションとか考えて、三十種類くらいメニュー出せばいいよね?」
「出来るならな。ヤエル、そこの棚に年間予算の資料があるはずだ。取ってくれ」
「あ、はい」
 ボクは言われた棚に入っていた予算の資料を取り出し、ケイム王子に差し出した。王子はそれをぱらぱらとめくり、ひとつのページを開いてサラさんに見せた。
「これが、武官控え所の食堂の予算だ」
「うわー、けっこう低予算でやってるのね」
「これを超えることは出来ないぞ」
「うん、何とかなるでしょ。十分十分」
 サラさんは満足げにうなずく。
「用は済んだな。さっさと帰れ」
 ケイム王子は予算資料を閉じてボクに差し出した。ボクは出してきた場所に資料を返した。
 サラさんと一緒に部屋を出た。サラさんはあれこれと考え込んでいる様子だ。
「あの……本当に大丈夫なんですか?」
「ん? 何が?」
「その……予算内でメニューを考える、とか」
「ああ、平気平気。お城の食堂にしては低予算って気がするけど、普通に家庭の食事としてやりくり考えたら、もっと低予算で回せるはずだよ。けっこう残飯として捨ててる食材も多いと思うし」
「……サラさん、主婦ですもんね」
「専業じゃないけどね。昔から低予算で食事を作るのには慣れてるの。うちの実家、ものっ…………すごい、貧乏だったから」
 サラさんはあっけらかんと笑った。どれだけ貧乏だったんだろう……。
 王族の居住区を出たところで、サラさんとは別れた。ボクは、サラさんが今までにないタイプなんだろうな、と思った。近衛としても、城に勤める奉公人としても。

 久しぶりの非番の日、ボクは部屋の掃除にいそしんでいた。忙しいと、ついつい溜め込んでしまう。掃除と洗濯が一段落して息をついたとき、訪問者があった。
「け、ケイム王子」
「しっ、大きな声を出すな。暇だな? 今からちょっと付き合え」
「え」
 ボクはわけがわからぬまま、寮から連れ出されてしまう。とりあえず帯剣だけはしてきた。ケイム王子はお忍びの格好をしているから、少し金持ちの坊ちゃんにしか見えないだろう。ボクはそのおつきといったところか。
「あのー……、どこへいらっしゃるんですか?」
「サラが、味見に来いと言うんだ。いい度胸だよな。僕を呼び出すなんて」
「え」
 しばらく前にメニューに文句をつけていたのは知っているが……、まさか本当にメニューを考案したということか。
 連れて行かれたのはオーウェン隊長の家だった。寮に入っていた者も、家庭を持つようになると寮から出ることになる。隊長クラスになれば城から一軒家が支給される。オーウェン隊長の家は、そういう官舎街にあり、中からはいい匂いがしていた。
 チャイムを押すとサラさんが出てきた。エプロンが少し汚れている。
「入って入ってー」
 促されるまま、ケイム王子と一緒にオーウェン隊長のうちに上がらせてもらった。新婚夫婦の家に上がったわけだが、いかにもという雰囲気ではなく、もっと実用的な感じの家だった。
「オーウェンは?」
「仕事だけど。今頃マリウスを探してるかも?」
「言ってないのか」
「うん、だって反対されるもの」
 サラさんはあっけらかんと言った。ケイム王子はむっつりとした顔になった。
「とりあえず十品用意したから、味見してみて。これがまずいとなればまたメニューを考え直すから」
 サラさんは手早くボクたちの前に料理を並べた。驚くほど……どれもこれもおいしそうだ。
「食堂で出すときは、これにご飯とかパンとか、後スープとかつく予定」
「この十品の予算は?」
「教えてもらった予算との割合で答えると、三分の二くらい。とりあえず、食べてみて?」
 ボクはケイム王子の分を小皿に取り分けながら、自分の分も取り分けて食べてみた。驚いた。本当にどれもこれもおいしい。
「……うまいな」
「んふふ、でしょ?」
「これで今までの予算の三分の二で済むのか」
「そうだね。食堂みたいな大きなところで大人数に配るとなれば、もう少し安く仕上がるかも。一食にかかる経費が安くなるから」
「ふーん……。大したもんだな」
 ケイム王子が素直に感心している。これはけっこう珍しいと言わざるを得ない。
「栄養面も、今までどおりなんですよね?」
 ボクは尋ねた。
「うん。むしろよくなったかも? 食堂の料理って栄養素は一通り入ってるけど、油が多い感じだし、戦いにすぐに臨むならいい栄養バランスなんだけど、仕事上がりに食べるのには重いものも多いと思うの。だから、ここからこっちは、ヘルシーメニューにしてみました」
 言われてみれば確かにさっぱり系のメニューだった。
「予算が安いのはわかったが、食材の調達が困難なものなんかはないのか?」
「全部そこら辺の市場で買ったやつだよ。もちろん、季節によって旬の食材とかあるだろうから、メニューも入れ替わったりすると思うけど。そこはまた考えればいい話だし」
「正直、ここまでやるとはな。調理法はどうなんだ? 時間や手間がかかるものだと厳しいぞ」
「煮込むのは時間かかるかもしれないけど、その間に別なメニュー作れるし、この十品全部作るのに、一時間くらいかな、かかったの」
「それは、短いのか?」
「短いと思います」
 ボクは言った。「一品作るのだって、慣れないと一時間以上かかりますよ」
「食堂で料理してる人は何人もいるし、手分けすればもう少し短くなると思うよ」
「……そうか」
 ケイム王子は納得したようだった。
「ね、採用してくれる?」
「まぁまて。僕一人の裁量で即採用というわけには行かない。ただ、強く推薦することは出来ると思う。必要なところに話を通すから、メニューとその作り方と、予算の資料をくれ」
「今持ってくる」
 サラさんは別室へ行ってしまったが、すぐに戻ってきた。既に資料を作っていたようだ。
「はいこれ。上の方に書いてあるのがここに並んでる料理だよ」
「……わかった。必要なところに必要な手続きを執るようにしよう。……うるさいだけのやつかと思ったら、けっこう仕事は出来るじゃないか」
「失礼な。それはマリウスの見る目がないんでしょ」
「ふん」
 なんだかんだ言いつつも、ケイム王子は楽しそうだ。
「ただいま」
 玄関の方から声がした。サラさんがぱっとうれしそうな顔をして玄関へ向かう。
「……ボクたちはそろそろ帰りましょうか」
「そうだな」
 ケイム王子とそんな話をしたとき。オーウェン隊長が、ボクたちのいたダイニングに入ってきた。
「! け、ケイム王子!?」
「邪魔しているぞ。もう帰るけどな」
 ケイム王子は席を立つ。
「ヤエルっ? お前……!」
「え」
 オーウェン隊長が迫ってくるのでボクは恐怖に固まった。
「アレク、二人とも、私が招待したの」
「は?」
 オーウェン隊長がサラさんの方を振り向く。
「僕がここにいるのは半分仕事だ。うろたえるな、アレク」
「仕事……と、おっしゃいますと……?」
「サラは、いい料理人だ。武官たちの待遇改善に一役買ってくれるだろう。ヤエル。僕を送れ」
「はい。それじゃあ、お邪魔しました。ご馳走様です、サラさん」
 ボクはサラさんに頭を下げた。
「また遊びにきてね」
 サラさんはそう言って微笑んだが、その隣でオーウェン隊長はひどくびっくりした顔をしてサラさんを見ていた。
 外は、もう薄暗くなっていた。仕事から帰る人たちで、街中はけっこう混んでいる。
「サラの言ったこと、決して実行するなよ」
 帰り道、ケイム王子がボソッと言った。
「サラさんの言ったこと?」
「遊びに来てねって言ってただろ」
「ああ……そうですね。ボク一人で行ったら、大変なことになりそうですね」
「アレクのことだ、決闘を申し込むくらいしそうだからな。面倒だから絶対に受けるなよ」
「はぁ……気をつけます」
「まぁ、お前にかかってる呪いが解ければ、気にする必要はなくなるかもしれないけどな」
「…………」
「しかし、驚いたな。サラは本当に料理がうまい」
「そうですね。近衛じゃなくて、料理人として雇ってもよかったかも」
「問題は兄上かな……。たぶん、サラの料理をまずいと思うだろうから」
「あの……シン隊長は味覚が……?」
「幼いころに口にした味は、忘れられないものなんだろう。基準がずれているだけだ」
「そうですか……」
 ケイム王子は寮の近くまで来ると、あとは一人の方がいいからといって帰って行った。なんだかんだ言いつつも、ケイム王子はサラさんのことが気に入っているのだろうと思う。
 それから二週間ほどの後、食堂のメニューが一新された。兵士たちにも好評だったが、城で働いている兵士以外の者たちも食べにくるようになり、食堂は前よりもずっと混み合うようになった。そのため、食事をテイクアウト出来るようなサービスも始まった。やはりそうするように提案したのはサラさんだった。なんだかなかなかのやり手だと思う。



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