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3.
落ち込む人々
「ふー……。ヤエル、喉が渇いた」
執務用のイスに腰を下ろしたケイム王子がボクに言う。
「ただいま紅茶をお入れします」
ボクは言いながら、用意されていた紅茶を入れ始めた。
仕事が一段落して休憩しているところである。今日もボクは、ケイム王子の書類仕事を手伝っていた。
「今日はお前、少し様子がおかしかったな」
お茶を飲みながら、不意にケイム王子が言った。
「そうですか?」
「……あれだろう? 盗難被害についての情報が気になっているんだろう?」
ケイム王子は自信たっぷりに言う。確かに、ボクが書類仕事をしていて気になったのは、盗難被害を報告する書類だった。盗難自体が重要なのではなく、盗まれてしまった品の目録の中に、気になるものが含まれていたのだ。
それは「ルヴァインの杖」というアイテムだ。実際に見たことがある訳ではない。ただ、どんなアイテムなのかという特徴はよく知っている。この世にひとつしかないレアアイテムという訳ではないが、比較的珍しいものである。
しかし、ボク仕事に集中し切れていない訳は、別にあった。それをケイム王子に言う訳にも行かなかったので、全ては「ルヴァインの杖」を原因にしようと思った。
「気になってないといったらウソになりますが……。なぜですか?」
「昔からほしがっていただろう、『ルヴァインの杖』。……もしかしてお前が犯人じゃないよな?」
「え」
ボクは驚いてケイム王子を見た。ケイム王子は優雅に紅茶を飲んでいる。
「まさか。盗んでまで手に入れたいとは思ってませんよ」
「それならいいが」
冗談でも疑われるのは心外だった。抗議のつもりで睨んでみたが、ケイム王子は意に介した様子を見せない。
「……そういえばお前、明日は非番だったよな?」
紅茶を飲みながら、上目遣いでボクを見て尋ねるケイム王子。ボクはとても嫌な気持ちになってきた。
「まさか、明日もここに来て仕事を手伝えとかおっしゃろうとしてませんよね?」
「そのまさかだ」
「……すみません。明日はちょっと用事があって……」
「どんな用事だ?」
「ちょっと、シン隊長に頼まれたことがあって……。シン隊長の代わりに出かけなければならないんです」
「兄上の代わりがお前に務まるのか?」
うさんくさそうに見られた。
「隊長は、ボクに代理が務まると考えていらっしゃるんでしょう。そうでなければボクに頼まないと思いますし」
ケイム王子は少し不満そうな顔をした。
「ふん。兄上を裏切ることは許さない。……だが、用事がすみ次第、来て構わないぞ」
「はぁ……まぁ、当日の状況次第ですね……」
出来れば明日は仕事したくないなぁと、ボクはそんなことを考えていた。
シン隊長がボクに頼み事をしたのは先日のこと。非番の日にケイム王子を手伝っていたら、王子から書類を差し出された。
「これ……兄上のところから来た書類なんだが、判が抜けているんだ。帰りにでも、兄上に届けてほしい。急ぎではない」
「了解しました」
そんな訳で、ボクは帰りにシン隊長の執務室に立ち寄った。扉をノックしようとしたら、誰かが中から出てきた。それは、オーウェン隊長だった。とっさに体をよけ、敬礼して挨拶しようと思ったのだが、オーウェン隊長のまとっている空気があまりにも殺伐として悲壮感が漂っていたので、ボクは唖然として見送るしかなかった。普段だったらそういう礼儀にうるさいはずのオーウェン隊長は、ボクのことが眼中にない様子で行ってしまった。
「ヤエル?」
執務室の中から声をかけられ、ボクはハッとなった。
「あ、失礼します」
ボクは執務室に入った。シン隊長は書類仕事をしていた。隊長ともなれば、処理しなければならない書類などもかなりの量になる。休みの日には執務室にこもって、仕事を片付けていることも少なくないようだ。
「こちらの書類をケイム王子から預かってまいりました。判が抜けているとのことです」
ボクは、預かってきた書類をシン隊長に差し出した。受けとった隊長は紙面をざっと眺め、抜けがあった場所に気づいた様子でハッとなった。
「ああ、わかった。……もしかしてヤエル、今日もマリウスを手伝ってたのか?」
判を引き出しから出しながら、シン隊長が尋ねる。
「ええ、まぁ……」
「今日は非番だろう? ちゃんと休めてるか?」
「……あまり自信はないですね……」
「休めるときに休まないと……」
シン隊長は書類に判を押す。そしてそれをボクに返そうとして、引っ込めた。ボクが不思議そうにしていると、隊長は微笑した。
「これは俺からマリウスに返しておく。マリウスには言っておきたいこともあるし……。ヤエル、あまり溜め込まないようにな? 何かあればすぐに相談してほしい」
「はぁ……ありがとうございます。……あの……、相談という訳ではないんですが……」
「ん?」
「先ほどすれ違ったオーウェン隊長なんですが……、何かあったんですか? 様子がいつもと違っていたような……」
「ああ……。……そういえば、ヤエルはうちのところのアベルとは仲がよかったよな?」
この前の合同演習のとき以来、同じB班だったメンバーとは、仲良くさせてもらっている。一緒に食事をしたり、休憩時間に雑談したりする機会が増えた。シン隊長のチームの中では仲がいい方だといえるだろう。しかしそれは、アベルさんだけが特別という訳ではなく、カインさんやサラさんとも同じような付き合いである。
「そうですね。例の合同演習のとき以来、同じ班だった方とは仲良くさせてもらっています。……アベルさんがどうかしたんですか?」
「最近、アベルの様子はどうかな?」
ボクは少し混乱していた。オーウェン隊長のことを尋ねたはずなのに、アベルさんについて逆に質問されている。オーウェン隊長のことは、触れてはいけないことだったのだろうか。
「さぁ……、これといって……。……特に変わった様子はないかと。ボクはまぁ、休みの日に城にいることが多いのですが……、アベルさんやカインさんは、一緒に出かけたりしているみたいですので、カインさんの方が、アベルさんについては詳しいかと……」
「どこに行って何をしているとかいうことは、把握しているか?」
「いえ……。……あの……これはどういう調査ですか?」
ボクはたまりかねて尋ねた。シン隊長は少し困ったような顔で考えていたが、ひとつ、ため息をついて言った。
「オーウェンは、サラのことが心配で仕方がないんだよ」
「……申し訳ありません、話が、見えないのですが……」
本当によくわからなかった。
「俺は心配いらないと思うんだが、サラは最近、アベルと妙に仲がいいらしい」
「はぁ……? サラさんとアベルさんが、ですか?」
「アベルの方が年も近いし、サラにとっては話しやすいこともあるんだろう。まして、同じチームで働いているんだし」
「そうですね」
「でも、オーウェンはサラのことが心配で仕方がないんだ」
いまいちピンとこないが、つまりオーウェン隊長は、サラさんが浮気しているかも知れないと思っているのか。
サラさんに限ってありえないと思ったが、オーウェン隊長のまとう雰囲気が、あれだけはっきりと変わっていた理由は、なんとなく納得できた。オーウェン隊長はサラさんの心変わりを心配しているのだろう。
「それで……ヤエル。ちょっと頼まれてほしいんだが……」
「え」
「俺が探りを入れるとあからさま過ぎるだろうし……。ちょっと話を聞いてみてくれないかな?」
「……あの……直接サラさんに確認した方が早くないですか?」
「本人は気づいていないこともあるかも知れない。出来れば血の雨が降る前に何とかしたいんだ」
実際にサラさんが浮気したとかしそうだとか言うことだったとしたら……、確かに血の雨が降りそうな気がする。その事態は避けねばならないだろう。
「まぁ……ボクはそういうことの専門ではないので……。結果は、期待しないで下さいね?」
「うん、わからなくてもいいよ。……すまないな、ヤエル」
「いえ……。血の雨が降るのは、ボクも嫌ですから」
「助かるよ」
シン隊長はにっこり笑った。
翌日からの勤務中、それとなくサラさんとアベルさんの様子を見ていた。ケイム王子から様子がおかしいと言われたのも、二人を観察していて、いつもより仕事に身が入っていなかったことも原因だったかも知れない。
結論として、ボクには、オーウェン隊長が心配しているようなことはないように感じた。二人は、比較的仲のよい異性の友達という感じである。
「なぁなぁヤエル」
仕事明け、食堂へ向かっていると、カインさんが声をかけてきた。
「はい、なんでしょう?」
「お前、今度の休み、空いてるか?」
少しこっそりという感じで、尋ねられた。
「はい、今のところ予定はありませんが……」
「ちょっと面白いことになりそうなんだ、お前も来ないか?」
「面白いこと?」
するとカインさんはボクの肩に腕を回し、耳打ちするように言った。
「今度の休みに、アベルのヤツが意中の女に告白するらしい。たぶん振られるから見に行こうぜ」
「え」
こういうのは渡りに船といえるのだろうか。
「お前、仕事しすぎだしな。たまには息抜きしないと」
「はぁ……。覗きはあまりいい趣味とはいえませんが……まぁ、気分転換はしたいと思っていたので……」
そんな訳で、ボクはケイム王子の頼みを断って、カインさんと一緒に出かけることになった訳だ。
カインさんに連れられてアベルさんの追跡を開始したのは午後のことだった。そのため、午前中、ずっとたまっていた洗濯や掃除などを片付けられた。
カインさんの話によれば、アベルさんの意中の人は、街の食堂兼酒場で働いているらしい。この情報を得られた段階でボクの調査は一段落した訳だが、今から戻ってもケイム王子の手伝いをする羽目になるだけだったので、最後まで付き合うことにした。
「お、いたいた」
カインさんが立ち止まって言った。少し離れたところから観察する。アベルさんは、雑貨屋の店先にいた。いつもよりもちょっとめかしこんでいる気がする。その隣にいるのは、サラさんだった。
「あれ、サラさん……」
アベルさんとサラさんは楽しそうに話しながら雑貨屋の品物を物色している。
「ああやって一緒にいるところ見ると、デートみたいだよなぁ。アベルのヤツ、このところサラさんにずっと相談を持ちかけてたんだ。うちのチーム唯一の女性で既婚者だしな」
言われてみれば確かにその通りである。女性のことで女性に相談するなら、一番身近なのはサラさんということになる。
「二人で、何してるんでしょうね」
「たぶん、告白のときに渡すプレゼントか何か買ってるんじゃないのか?」
「ああ、なるほど」
ボクも、恋愛については疎い。
二人の様子を見ながら、ボクはオーウェン隊長のことが気になっていた。今、オーウェン隊長が二人の様子を見たら、血の雨が降ってしまいかねない気がした。そのくらい、サラさんとアベルさんの様子は仲むつまじく見える。
「お。移動するみたいだぞ」
買い物を終えたアベルさんは、サラさんと別れて移動を始めた。サラさんのことも少し気になったが……ボクはカインさんと一緒にアベルさんの後を追った。
アベルさんが向かったのは街の中心から少し外れたところにある食堂だった。昼間は食堂として、夜は酒場として開いている店だ。今は酒場として開いたばかりという感じだった。
「店がもう少し混むまで時間つぶすか。今入って行ったら、アベルに丸見えだもんな」
近くに時間をつぶすのにちょうどいい店はないかと探してみたら、武具屋が見つかった。騎士としては、いざというときのために武具類に関してはいつも気を配らなければならないので、こういう店は比較的見所が多く、時間がつぶせる。
グリースと鉄、革の匂いが混じった店内には、店の規模に反して多くの種類の武具類が置かれているようだった。こういう場所は、ついつい興奮してしまう。はっきり誰かに指摘されたことはないが、ボクは武具マニアなんだと思う。もし近衛騎士になれなかったら、武具屋か武具職人になりたかった。
ボクの場合、純粋な戦士としての才能よりも、純粋な魔法使いとしての才能の方が高かった。魔法を使える身で、武具から離れずにいられる職業は、冒険者か近衛騎士くらいしかない。ボクが近衛騎士を選んだのは、そちらの方が高級な武具に触れる機会が多いと思ったからだ。
店の品は、玉石混合という感じだった。質の悪い品にちょっと高過ぎると思うような値段がついていたり、すごく品質のいい品に驚くほど安い値段がついていたり、相場通りだったり。店主が武具類の価値についてあまりよく知らないのだろうか。
「ちょっとぉ! それはいくらなんでも安すぎでしょ!」
店の奥、カウンターの方から誰かがわめいている声が聞こえた。何かカウンター越しに交渉しているようだ。
「なぁなぁ、あれ、すっげぇ美人」
不意にカインさんがボクに近づいてきて小声で言う。カインさんが顎で指すのは、カウンターでわめいている女性だった。ボクのいる位置からでは後姿しか見えない。
「もういいわ! あんたになんか売ってやんないんだから!」
カウンターの女性は言い捨てると、きびすを返して店から出て行こうとする。ボクの目は、その女性が持っていた武器に釘付けになった。それほど丈の長くないロッドで、表面にはびっしりとルーンが刻まれている。いくつか宝珠もはめ込まれていて、見た目にも美しい。
「……何よ?」
ボクがロッドを凝視しているのに気づいたようで、それを持っていた女性がきょとんとしてボクを見た。ボクはハッとして女性の顔を見る。カインさんの言うように、顔立ちの整った人だ。
「あ、あのっ、それ、見せてもらえませんかっ?」
ボクはその欲求が抑えられなかった。もし本物なのであれば、是が非でもほしい。
「え? 何? 買ってくれるのっ?」
「えっと、持ち合わせがないので即金ではお支払いできないのですが……でもあの、よく見せて下さい」
「いーわよっ」
女性はにっこりしてボクにそのロッドを手渡してくれた。
サイズのわりに少し重い金属製のロッドである。持ち手の部分を握ると手になじんだ。薄く魔力を感じる。本物かも知れない。
「イネオ・レイティオ」
ボクが呟くと、ロッド表面の文字が波打つように光った。光はすぐに落ち着いた。
「メメント・ノバス・インペレイター、ヤエル・メトシェラ」
再びルーン部分が光り始める。
「……ね、何してるの?」
少し恐る恐る女性が尋ねてきた。
「このロッドを使えるようにしてるんです」
光が落ち着いた。
「グラディウス」
ボクが呟くと、ロッドの先端から、光の刃が伸びた。ロッドが剣の握り手になり、光状の刃部分が出現している形になる。
「プリマス・フォルマ」
呪文に応じてロッドから出ていた光の刃が消え、元に戻った。
本物だ。ボクは嬉しくなった。文献でしか読んだことはなかったのだが、これは魔法戦士のための武器だ。ロッドを携えることで魔法の制御をたやすくするという恩恵をもたらす他に、使用者の魔力を消費することで、武器にもなるし、防具にもなる。
「これ、譲って下さい」
ボクは女性に言った。
「い……いいわよ。でも、高いわよ?」
「おいくらですか? 今、持ち合わせがないので……。お金を用意してお持ちします」
給金はあまり使う宛がなく、たまっている。一度城に戻ればそれなりの額を提供できるだろう。
女性と値段について少し交渉した。いくらくらい払うつもりがあるのか尋ねられたので、このロッドの価値に見合って、なおかつボクが払える金額を言ったら、それでいいと言われた。
「ボクは、ヤエルといいます。名前を伺ってもよろしいですか?」
「イリスよ。戻ってくるまでにどのくらい時間かかるの?」
「えっと……、一時間くらいですかね」
「そう。それなら、表通りに出たところにある食堂で待ってるわ」
イリスさんが言うのは、アベルさんが向かった食堂である。
「わかりました。出来るだけ早くお持ちしますので。あ、これはお返しします」
ボクはイリスさんにロッドを返した。
「じゃ、また後でね」
イリスさんはにっこりして武器屋を出て行った。
「お、おい。お前すごいな」
カインさんが声をかけてきた。ボクはハッとなった。カインさんがいたことを忘れていた。
「あ、え?」
「あんな美人と、よく平気で……。実はお前、凄腕のナンパ師?」
「は……?」
「まぁいいや。約束取り付けたんだし」
カインさんはなんだか嬉しそうだ。
「あの、城に戻ってお金を取ってきます」
「おう、行ってこい行ってこい」
ボクは急いで城に帰った。
お金の用意を調えて城を出て行こうとしていたとき、声をかけられた。
「ヤエル」
振り向くと、そこにいたのはシン隊長だった。私服姿である。仕事は終わったのだろう。
「あ、シン隊長」
「出かけるのか?」
「はい。……アベルさんの件なんですけど……心配ないと思いますよ」
「何かわかったのか?」
「アベルさんは、サラさんに恋愛相談していたらしいんです」
「恋愛相談?」
「街で働いている女性のことが好きになったみたいで、そのことをサラさんに相談していたんです。身近で、女性のことを相談できる女性というと、やはりサラさんと言うことになりますから」
「なるほど」
「……実は、今日、アベルさんがその女性に告白するという話なんです。ボクはこれからその現場へ向かうところです」
「へぇー、すごいなヤエル。この短時間でそこまで調べてるなんて」
シン隊長はとても感心した様子で言った。
「たまたまですよ。カインさんが情報を提供してくれて……」
「そうか。うまく行きそうなのか?」
「さぁ……。カインさんの話では振られそうだって……」
「そうなのか? アベルはいい奴なのに。……なんか心配だな。俺も様子を見に行こうかな」
そんな訳で、ボクはシン隊長と連れだって、先ほどイリスさんと約束した店へ向かった。 時間帯が食事時と言うこともあって店の中は混んでいた。ざっと見回して、隅の方の席にイリスさんがいるのを見付けた。
「あ、お待たせしました」
「お帰りー」
イリスさんはにっこりと笑う。
「こちらが、約束のお金です」
「じゃあ、はい。これで交渉終わりね」
イリスさんはロッドをテーブルの上に置いた。ボクはそれを手に取った。ボクが手にすると、ロッドのルーンが光る。ボクは興奮していた。本物を手に入れられるなんて。
「それじゃ、私はこれで」
「ありがとうございました」
イリスさんはニコッとして行ってしまった。
「今の人は?」
シン隊長が尋ねる。
「あ、このロッドを譲ってくれる約束をしていて……」
「……アベルの件とは別なのか?」
「はい。あ、あそこにいますよ、アベルさん」
ボクは奥の方の席を指した。アベルさんがひとりで座っていて、食事を取っていた。その側にはウエイトレスさんがいて、何か話している。
「飯を食いながら様子を見るか」
ボクはシン隊長と一緒にイリスさんのいた席に落ち着き、食事を注文した。アベルさんを対応していたのとは別な人が注文を取りに来た。適当なメニューを頼みながら、ボクは、カインさんの姿がないのに気づいた。
「……おかしいな……。カインさんどこ行ったんだろう」
「カインがいるのか?」
「はい、今日は一緒に、アベルさんの様子を見ていたんです。でも、ボクにはこのロッドの取引があったのでいったん別れて……」
「そうか。……そのうち来るんじゃないか? 場所はわかってるんだろう?」
「そうですね」
とりあえずボクは、手に入れたロッドを眺めた。「ルヴァインの杖」と言われる武器で、使用者の魔力を注ぎ込むことで、この世に並ぶもののない最強の武器ともなり、盾ともなる。実際には、沈黙の神であるルヴァインが作ったものではなく、何百年か前にいたというマジックアイテムを作る凄腕の職人が、魔力で武器の性能を強化できないかと研究した末に出来上がったものだと言われる。
いわゆる伝説上の武器ではあるのだが、この世にひとつだけという訳ではなく、たまにトレジャーハンターによって発見され、取引されることもある。ただ、ある程度強力な魔法を使いこなせる魔力と、ある程度戦士としての技量がないと使いこなせないものなので、実はあまり需要がない。
「それは?」
「ずっとほしかったアイテムなんです。『ルヴァインの杖』っていうんですけど」
「さっきなんか光ってたよな?」
「ボクの魔力に反応するようになってるんです。さっき設定したんですけど」
「へぇー、魔法戦士専用の武器ってところか?」
「そうですね。いつかほしいと思っていたので、嬉しいです」
ボクが言うと、シン隊長はクスッと笑った。
「ヤエルがそんなに嬉しそうにしてるのは珍しいな。よっぽどほしかったんだな、それ」
「魔法戦士としてはあこがれのアイテムなんですよ。魔法を使うときにも、制御を助けてくれる作用があるし……」
「なるほど。ますますヤエルが有能になってくなぁ」
「いや、でも、実際使いこなす機会は少ないと思いますし」
シン隊長と、武具について語りながらの食事になった。人に対して、自分の武具好きをあらわにして話すことは少ないのだけれど、シン隊長も武具類についてはけっこう詳しくて、ずいぶんマニアックな話で盛り上がったと思う。
話は尽きなかったのだが、アベルさんが動いたのが見えた。会計をすませて店を出て行く。告白したのかどうか確認できていない。このまま後をつけた方がいい気がする。
「出ましょう。アベルさんが店を出ました」
「そうか。会計はいくらだろう?」
「すみません」
近くを通りかかったウエイトレスさんに声をかける。それは、店に入ってきたときにアベルさんが話していたウエイトレスさんだった。
「はい、ただいま。……っ!?」
笑顔でこちらを振り向いた後、彼女はひどく驚いた顔をした。動揺しているといってもいい。
「会計をよろしくお願いします」
シン隊長が言った。そのウエイトレスさんは固まったままだ。
「……どうしました?」
ボクは心配になって尋ねた。彼女はシン隊長を見たまま固まっていた。知り合いなのかどうかわからないが、少なくともシン隊長が原因で、様子がおかしくなっているのはわかった。
「あ、ああ、いえ。ど、どんなご用でしょうか?」
「会計をお願いします。いくらになりますか?」
隊長が財布を出す。
「あ、ここはボクが払います」
「いいよ。上司なんだから俺が払う」
「でも……」
「いいからいいから」
隊長に押し切られ、食事をおごってもらうことになった。請求された金額は、飲み食いした分よりもちょっと多い気がした。尋ねると、ウエイトレスさんはすまなそうな顔をした。
「すみません……前にこの席にいた女性のお客様の分も……」
「ああ、ロッドを取引した人の分か。いいですよ」
シン隊長はイリスさんの分も払ってくれた。
「それじゃ、ごちそうさま」
二人で席を立つと、対応してくれていたウエイトレスさんは深々と頭を下げた。
「ありがとうございましたシン先輩」
店を出て周囲を見回すと、少し先の辺りをアベルさんが歩いているのが見えた。シン隊長と一緒に、そのまま尾行することにした。
隊長は、尾行はしているものの、何か考え込んでいるような感じで少し上の空だった。アベルさんはやがて、近くの公園に落ち着いた。昼間は明るい感じの公園だが、夜は街灯に照らされて、幻想的な雰囲気になる。カップルなどにも人気の場所だったはずである。
アベルさんは噴水の近くのベンチに座った。ボクとシン隊長は少し離れたところにあるベンチに落ち着く。
「これから告白かも知れませんね」
「ん? ああ、そうだな」
「……シン隊長、何か気になることでも?」
「うーん。最後にあの子、シン先輩って言ったんだ……。だから、学校の関係者なのかも知れないんだが……、思い出せない」
「え」
それではあのウエイトレスさんが挙動不審だったのは、シン隊長のことを知っていたからという理由が立つ。しかし、全然そんなそぶりは見せていなかった。
「知り合いなら、どうしてそういってくれなかったんでしょうね?」
「……嫌われてたのかな、俺」
シン隊長は少し淋しそうに笑った。「最初にものすごい驚かれ方したし……」
「さぁ……そういう感じはしませんでしたけど」
「そうか?」
ボクは話を変えることにした。
「結局、カインさんも来ませんでしたね」
「ああ、そうだったな。もう、帰ったかも知れないぞ」
「そうですね」
そんなことを話していると、アベルさんに向かって、近づく者があった。それは、先ほどのウエイトレスさんだった。エプロンを外しただけの姿だ。仕事を抜けてきたか、終わってすぐ来たかのどちらかだ。
アベルさんが立ち上がった。ウエイトレスさんに向かって、頭を下げながら何か差し出すのが見える。たぶん昼間にサラさんと買った何かプレゼントだろう。カインさんの言った通りだったのだ。
どうなるのだろうと思っていたら、ウエイトレスさんはぺこりと頭を下げ、走り去った。
「あ、振られた」
アベルさんがハッと顔を上げ、彼女の方へ走り寄り、腕をつかんだ。何か言葉を交わしている。ウエイトレスさんは何度も頭を下げてアベルさんから逃れた。アベルさんは茫然として走り去る彼女を見送る。
不意に、シン隊長がウエイトレスさんの後を追って走り出した。ボクは、アベルさんのことが心配ではあったのだけれど……ここで顔を出すのも変だろうと判断して、シン隊長の後を追った。
「ちょっと待ってくれないか?」
シン隊長が公園を出てすぐのところで女性に追いついた。
「ぎゃああごめんなさいごめんなさい!」
ウエイトレスの女性はやみくもに頭を下げる。
「いや、謝られる覚えはないんだが……。もしかして君は、ウィズリホープ学園の、生徒なのか?」
「う、うーん? その……」
「そうだとしたらすまない。俺は君のことを忘れていたようだ。名前を教えてくれないか?」
シン隊長が真面目に言うと、ウエイトレスさんはひどく困った顔をしてしばらく考えていたが、やがて大きなため息をついた。
「シン先輩。俺ですよ」
声が変わった。先ほどまでは普通に女性の声に聞こえていたのだが、今はどう聞いても男の声である。
「はっ?」
「この格好だからわからないかも知れないけど、俺です、コウジです」
「コウジっ?」
「はい。お久しぶりです、シン先輩」
シン隊長は驚いた顔のまま固まっている。先ほど、このコウジさんが店でおかしな様子になったときのように。
「ああ、男の方だったんですか。それで、アベルさんとは……」
「まぁ、そういうことなんスよ。惚れられても困っちゃう訳で。……あれ? アベルさんと知り合いなんですか?」
「アベルさんは仕事の同僚なんです。シン隊長の部隊に配属されている仲間なんですよ」
「うわ、そうだったのか」
「……コウジ……」
シン隊長が暗い声でボソッと呟く。
「はい?」
「知らなかった……そういう趣味があったんだな」
「いや! 違いますよ! これはその……、色々あって仕方なく……」
「隠さなくていい。そうか……。どんな趣味でも、他人に迷惑さえかけなければいいんだし……」
「先輩! 違いますから! あの、わかってくれますよね?」
コウジさんがボクに助けを求めるように言う。
「潜入捜査か何かと言うことでしょうか?」
「そう! そういうこと! そういう訳だからさ、先輩!」
コウジさんは笑いながら言った。シン隊長は思い詰めたような表情でコウジさんを見ている。
「じゃ、もう行かないとならないからっ。先輩、師匠の分の飯代払ってくれてありがとうございました! またー!」
コウジさんは元気よく頭を下げると、片手を上げて爽やかに走り去って行った。
「…………」
コウジさんを見送って、ボクはシン隊長を見た。隊長は、コウジさんの去った方を、不憫なものを見るような顔で見ていた。
「……帰りませんか、隊長」
「そうだな。帰るか」
ボクは隊長と一緒に城へ戻った。
シン隊長は寮ではない場所に部屋があるので、城に入ってから別れた。シン隊長はなんだかずっと黙り込んでいて、話しかけられるような雰囲気ではなかった。久しぶりに会った後輩の様子に、ショックを受けている様子だ。
寮に戻ると、カインさんが驚いた様子でボクを出迎えた。
「おい、無事だったのか!」
カインさんは心配そうにボクに走り寄ってきた。
「ああ、やっぱり先に帰ってきてたんですね」
「大丈夫なのか? 無事なんだな?」
「ええ、無事ですけど……」
思わず答えてから、質問の内容がおかしなことに気づいた。「……どういうことですか?」
「お前がロッドを取引した女っ。お前と別れた後声をかけたら、裏道に連れ込まれて……」
カインさんは言葉を切ってすごくつらそうな顔をする。
「何があったんですか?」
「危うく死にかけた。通行人に助けてもらわなかったら、俺は確実に死んでた」
「ボクには、普通の対応をしてくれましたけど……。……カインさん、疑うようなことはしたくありませんが……、何か悪さしようとしたんじゃないですか?」
「まさか! 俺は普通に話しかけただけだぜ」
「今は無傷ですね」
「城の医務室で魔法をかけてもらったからな。そうでなければ死んでるぞ」
城にある医務室には回復魔法を使える人間が常駐しているが、死ぬ可能性が出てこない限り、回復魔法をかけてくれることはない。もちろん、王族についてはその限りではないけれど。そう考えると、ひどい目に遭ったことは確かなのだろうと思った。
「その上、あの女、俺の財布から金を抜いて行いったんだ! あれは悪魔だ、そうに違いないっ」
カインさんはよっぽど精神的に堪えているらしい。ずっと涙目でボクに訴えかけている。
「今日は早く休んだ方がいいですよ。明日は仕事ですし……。何か、眠りやすくなる薬とか、もらってきますよ。部屋に行ってて下さい」
ボクは、カインさんをなだめて部屋に入れ、医務室へ向かった。何かハーブティーでももらおうと思った。医務室は基本的にいつでも開いている。城の中というのは夜でも誰かしら働いている。そういう人たちに何かあったときのために、医務室だけは必ず開いているのだ。
「失礼します」
医務室に入る。ハーブなどがおいてあったりするため、医務室はいつも、独特の匂いで満ちている。
「ヤエル」
名前を呼ばれてハッとなる。先客として、オーウェン隊長がいた。部屋の中に、医務官の姿はない。奥にも部屋があるから、そちらにいるのかも知れない。
「あ、オーウェン隊長、こんばんは」
「ああ。どうした、具合でも悪いのか?」
ボクに尋ねるオーウェン隊長の顔色は悪い。
「いえ、ボクではないんですけど……。よく眠れないと言ってる仲間がいるんで、眠りやすくなるハーブティーか何かいただければと思いまして。隊長こそ、どうしたんですか?」
「いや……ちょっとな」
「オーウェンさん、こちらになります。胃薬」
奥から、医務官が現れた。わずかに膨らんだ紙袋をオーウェン隊長に差し出している。
「ああ、どうも……」
胃薬。精神的に参ってしまい、胃が痛くなっているのかも知れない。ちょっとかわいそうになったので、ボクは、本当のことを言おうと思った。
「あの、隊長」
「ん?」
「サラさんなんですけど、このところずっと、仲間からの恋愛相談を受けていたみたいですよ」
「え?」
「ボクたちの職場って、やはり女性と接する機会が少ないし、女性のことで相談できる身近な女性って言うと、同じチームのサラさんになるんですよね」
「サラは、恋愛相談を受けていた……?」
「ええ。好きな女性がいるけれど、どう告白したらいいのかとか、仲間が相談していたみたいです」
「……そうなのか」
「そうなんですよ。ボクも、女性のことで誰かに相談したくなったら、サラさんに相談することになると思います」
オーウェン隊長は、なんだか茫然としている。自分の心配が、必要ないことだというのがわかってもらえたと言うことだろうか。
「……それで、どうしてお前がそれを知ってるんだ?」
オーウェン隊長が言う「それ」というのが、どちらなのか少し迷った。サラさんが相談を受けていたことなのか、オーウェン隊長がサラさんを気にしていたことなのか。
「シン隊長から……」
「……そうか」
幸いにも、オーウェン隊長はそれで納得してくれた。ボクは深く突っ込まれなくてホッとした。
「隊長の具合が早く良くなりますように」
「あ、ああ、ありがとう」
隊長は少し嬉しそうな表情を浮かべて、医務室を出て行った。不安が解けたのかも知れない。
「それで……何をお求めですか?」
医務官が尋ねてきた。オーウェン隊長との会話が終わるまで待っていたようだ。
「よく眠れるようになるハーブティーか何かをいただければと思いまして」
「眠れないんですか?」
「少し前に、ここに近衛騎士が運び込まれてきませんでした?」
「ああ、カインさんでしたっけ? あれはひどかった。医務官のひとりが魔力をまるまる消費してやっと回復できたくらいで。蘇生魔法使った方がいいんじゃないかって思ったくらいだったんですが、まぁ、さすがは近衛騎士さん、回復力が高くて助かりましたよ。……それが何か?」
「その人がずいぶん怯えてしまっていて……。よほど怖い目に遭ったんでしょうね。それで、よく眠れるようにと……」
「ああ、そういうことなんですか。じゃあ、少し強めの薬をお出しした方がいいでしょうね。今処方してきますから、お待ち下さい」
医務官は奥の部屋へ行ってしまった。
そこまでひどい状態になっていたのか。ボクは少し驚いていた。でも、それならカインさんのあの様子は納得が行く。イリスさんがひどいことをしたというのが少し信じられないが、何かひどい目には遭ったのだろうと思う。魔法で眠らせてあげた方がよかったのかも知れないが、今更ハーブをキャンセルするのもなんだったので、出てくるのを待つことにした。
学院にいるとき、就職先について、担当の教官からは、医務官になってはどうかと勧められていた。回復魔法がうまかったのがその理由だ。けれどボクの選択肢の中には医務官はなかった。
医務官が処方してくれた薬をカインさんに飲ませて、ボクは明日に備えて休むことにした。ボクが医務室へ言っている間にアベルさんが帰って来ていたようだが、わざわざ声をかけるのも不自然だと思ったので声はかけなかった。
翌日、ケイム王子の近衛の任につき、ボクはいつも通り書類仕事に精を出していた。ある程度したところで休憩になった。ケイム王子はいつも通り、ボクを残して他の人間を部屋から出した。
「ヤエル。どうにかならないのか」
「はい?」
お茶の用意をしていたボクは手を止めた。
「兄上といい、サラといい、他の二人といい、あんなにどんよりした奴らが周りにいると、こちらの気分まで悪くなる」
カインさんは昨日死にかけたことが原因で元気がない。アベルさんは仕方ないこととはいえ振られたことが原因で元気がない。シン隊長はコウジさんの件が堪えているようで元気がない。サラさんは、アベルさんが振られたこととコウジさんの件とが原因であまり元気がない。
「連中に反して、お前は上機嫌だけどな。お前がそんなに上機嫌なのも珍しいが、何があったんだ?」
「前からほしかった、『ルヴァインの杖』を手に入れたんですよ」
ボクは、ベルトに差して持っていた杖を王子に見せた。
「ほう、どうやって手に入れたんだ?」
「えっと……、武具屋で、これを売ろうとしていた人を見かけて、話して譲ってもらったんです」
「ふーん。ちょっと借りるぞ」
ケイム王子がロッドを手に取ると、表面に刻まれたルーンが光った。ロッドが反応するのは、それが使用登録をした相手だけだ。
「え」
「グラディウス」
ケイム王子が呟くと、ロッド先端の宝珠のところから光の刃が出た。
「ど、どういうことですか?」
「それを聞きたいのはこっちだ。こいつは、この前盗難届が出された品である可能性が高いな」
「ええっ」
「プリマス・フォルマ」
王子の呪文で光の刃が消えた。「……お前は盗品をつかまされたことになるんだろうな」
「そんな……。あれ? その場合は、このロッドの所有権は?」
「当然、元々持っていた人間に返されることになるだろう」
「…………」
けっこう高いお金も払ったのに。ボクはすごい勢いで落ち込んだ。一度手に入ってしまった後でそれを無効化されたので、よけいにダメージが大きかった。
「……ああもううっとうしいっ。お前まで落ち込むとうっとうしさ倍増以上の破壊力だ」
ケイム王子は不機嫌に言い放つ。
「……すみません……」
「そのロッドは、以前王家から、ある貴族に与えたものだ。その貴族は最近失脚したんだが、盗難届を出してきたのはその貴族に仕えていた家臣のひとりだった。その家臣は魔法が使えない。だから、代わりとなる何かを与えることで、ロッド自体はこちらに残すことも出来ると思う」
「しかし……ボクには代わりに出来るようなものは……」
「なぁに、その辺においてあるどうでもいいものを与えれば文句も言うまい。貸しにしておいてやるぞ」
「え」
ボクは、かなり葛藤した。返答に困っていると、王子はため息をついた。
「もうそれで決定だ。これはお前が持っていろ。他の人間が持つよりもはるかに役に立つはずだ」
王子はボクにロッドを手渡した。ロッドはボクの魔力に反応して光った。手になじむ感覚がする。やっぱりこれを手放すのは嫌だった。
「おい、とりあえず飲物をくれ。喉が渇いた」
「はい」
そうして、ケイム王子が手を回してくれたおかげで、ボクはロッドを手放さずにすんだ。
ただ、この一件以来、ケイム王子からは「貸しがあるだろう」といって無理難題を言われることも増えた。ロッドが手に入ったのはよかったけれど、前以上に王子からこき使われるようになったので、素直に喜べなかった。
しかし、二週間に一度は確実に休めるようになった。シン隊長が言ってくれたことが原因らしい。ボクは、ますますシン隊長について行こうと思ったのだった。
Continue?
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